Essay  ボルネオ日和

2  クチンの桜

 乾季らしいジリジリとした日差しが、日を追うごとに鋭さを増す四月上旬のクチン。「暑くて雨の多い時期」と「暑くて雨の少ない時期」のふたつしかないのこの地では、明確な季節というものはなく、したがって花の時期というのも曖昧である。花は一年中だらだら咲き続けるか、「ある程度」決まった頃に咲く、めったに咲かない、の3つしかない。
 ところがこの街の一角に、毎年決まって4月に小さな薄いピンクの花を咲かせる木があることを、勤め先の日本人上司が教えてくれた。サラワク在住30年(2007年当時)になる上司は、だいぶ前からその花の存在に気づいていたというが、何の花かも詳しく調べられないまま、自ら「クチンの桜」と名づけていた。その花をひっそりと愛でながら、季節感に乏しいこの街で、懐かしい日本の春に思いを寄せてきたのだろう。上司は、かつて大学で植物の研究をかじったことがある私の乏しい知識を当てにして、その木のある場所を教えてくれた。
 私はさっそくその日の昼休みに、木のある場所へと向かった。どこかの公園か街路樹のようなものを想像していたが、たどり着いた場所は、大きな公園の裏手の土手だった。その土手は、公園を取り囲む交通量の多い道路に面していた。
 目的の木は、土手の斜面のなかほどに、ひっそりと、ほかの木々に埋もれるようにあった。花は小さく、ピンクというよりはずっと白に近い色をしていた。終わりかけだったのか、地面にはたくさんの花びらが落ちていた。幹は細く、樹皮は桜独特の艶やかな感じはなく、枝も柳のように枝垂れていて、印象は日本の桜とはだいぶ違って見えた。熱帯特有の巨大な着生シダや絡みつく蔓植物も、桜のイメージからこの木を遠ざけていた。しかし、その小さな花を目を凝らしてみると、花びらは5枚で、めしべやおしべの感じも桜に近く思えた。木には赤い色を帯びた新葉が目立っていた。花の終わりと入れ変わるように葉が出始めることも桜と似ていた。そしてなによりもその花は愛らしく、律儀に4月に咲く。上司がクチンの桜と呼ぶにふさわしい特徴をいくつも備えていた。

クチンの桜           クチンの桜           クチンの桜
「どう、洋平さん」
 驚いて振り返ると、たまたま車で近くを通りがかった上司がいた。花の写真を撮っていた僕を見つけ、声をかけたのだ。僕は、桜に良く似ているし、桜と同じバラ科の植物だと思うと告げた。上司は少しほっとしたような表情で微笑みながら、もうひとつ新しい事実を教えてくれた。
「やっぱり桜よね。ここはね、昔の日本軍の防空壕があったところなの。ほら」
上司が指差したのは、斜面の中腹、桜の木のすぐ下のコンクリートの構造物だった。コンクリートの壁に囲まれ、高さ50センチ、幅1メートルほどの、灰色のペンキで塗られた木の扉が見えた。さっきから花の写真を撮るために何度も上っていたが、気にも留めていなかったものだった。
「…」防空壕
 こんな街なかで、しかも自分のすぐ足元に戦争の遺跡ともいえるものが、なんのサインもなく、素っ気なくあることにショックを受けた。ボルネオに来て以来たびたび耳にしていた「ボルネオ日本統治時代(1941-1945)」というものが急に現実味をもって感じられた。

 防空壕と桜ー。

 もしかしたら、この木は目印だったのかもしれない。かつては鬱蒼と木が茂っていたであろうこの小さな土手に、日本軍は日本人にとってわかりやすい木を植えた(あるいはそうクチンの桜と防空壕した木がある場所を選んだ)のではないだろうか。もしかしたら、この木の下は、当時花見の場所としても使われ、平時から皆が知る場所だったのかもしれない。なんにせよ、上空からも見つかりにくく、道のそばにあるこの土手は、たしかに防空壕を作るには適しているように見えた。しかしその木は、僕が推測した樹齢ほどに太くは見えなかった。戦後誰かが何らかの思いとともに植えたものなのかもしれない。


 いうまでもなく、ボルネオの人々は自分たちの土地が日本に統治されていたことを皆知っている。しかし、日本の若い世代の人々はその事実をほとんど知らないのではないだろうか。僕自身もそうだった。幸いというべきか、戦後のマレーシアの教育と日本の目覚しい復興は、マレーシアの人々の思いを悔恨から羨望へと変えたが、歴史的事実をろくに知らずにぬけぬけとこの街に住んでしまったことで、日本人の私は優越感から罪悪感に突き落とされることがしばしばあった。あるときは国立公園のガイドが、珍しいラフレシアの花を目の前に、日本軍に祖父が鞭で打たれた話をとめどもなく話し出した。またあるときは街で出会った見知らぬ老人に、数十年ぶりに使ったという日本語で話しかけられた。目に涙をためながら、僕に軍歌を聞かせてくれたその老人の思いを僕はどう理解して良いのかわからなかった。 
 私と同世代の人たちは「戦争」という言葉の響きには「遠い場所」で「昔」に起きていたこと、そして敗戦国としての「被害者である」という意識がどこかにあると思う。しかし戦時中の日本人が使用した防空壕や、そこで人々が目にしたかもしれない桜のような木を目の前にしたことで、それがいかに最近のことで身近なことだったのクチンの桜かを生々しい現実としてとして感じることができた。

 熱帯の自然や海外生活に憧れてこの街にやって来たのだが、予期せぬ歴史との出会いにあらためて来てよかったと思っている。


このエッセイの掲載後、植物に詳しい読者の方より、本文中のクチンの桜は、バラ科ではなくオトギリソウ科Cratoxylum属の植物であるとのご指摘を受けました。ほぼ間違いありません。ありがとうございました。

                      Dari Kuching 第11号(2007.5.1)より


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© 2011 Yohei Kambayashi