Essay  ボルネオ日和

3  大きな足跡

 サイチョウという鳥の写真を撮影しに、とある森へ出かけたときのことだ。  
 出発前日、森の近くに住む友人から、サイチョウ探しの助っ人として、一人の先住民の男を同行させたいと連絡があった。友人はその男を「タフで、どんなかすかな動きや音も逃さない鋭い感覚ををもった男だ。」と評した。その友人自身、鋭い目と耳を持っていることに私は常日頃から感心していたので、その彼が認める男を断る理由はなかった。私はOKを出すと同時に、勝手に屈強な男を思い浮かべていた。
 出発の朝、友人とともに現れたのは、50代後半ぐらいのやせた「おじさん」だった。穏やかな笑みを浮かべたその顔は、先住民というよりは日本人に近く、外見上彼が先住民であることを物語るのは、耳たぶに大きく開いたピアスの穴ぐらいだった。その助っ人を見る私の目が不安げに見えたのか、友人がこう付け加えた。
「この人はプナン族のK。ベテランのハンターだよ」
 プナン族は、サラワクに27以上あるといわれる先住民族のなかで唯一、ごく最近まで純粋な狩猟採集生活を送ってきた民族だ。政府の定住化政策などもあって、ここ数十年の間に生活は大きく様変わりしてきてはいるが、今なお頑なに森のなかに小さな小屋を作りながら、移動生活を続けているグループもいる。決して未開の野蛮な民族というわけではなく、膨大な森の知識と優れた技を持った森のプロというべき人々だ。ボルネオ観光では必ず目にする吹き矢も、彼らが最高の使い手として知られている。目の前のやせた男のイメージは、「プナン」というひと言で頼もしい助っ人へと変わった。
 友人2人と助っ人Kと私の4人で、サイチョウがいるという場所まで、森のなかを15キロほど歩いた。サイチョウとは、独特の色と形をした大きな嘴を持つ、大型の鳥の仲間である。そのなかの代表的な一種が、その名の通り「サイ」を想起させる角のように変形した嘴をもつことからその名がついている。サラワク州のシンボルとして、その絵姿はあちこちで見かけるが、今では数が減り、実物を見ることは難しくなってしまっている。しかし、友人の話では、森の奥の果実が実っている木には一日に何度もやってくるということだった。
 道中、Kや友人たちは、鬱蒼と生い茂る木々のなか、おしゃべりしながら一体どうやって見つけるのか、、サルやリス、トカゲなど実によく色々なものを見せてくれた。しかし、その多くが写真にはならなかった。彼らの目が良すぎるのだ。遠すぎて、写せない。しかも、何が悪いのか、せっかく見つけた動物も、私が動いたときに限って逃げ去ってしまうのだ。「あーあ」という空気に何度か包まれた。
 一番の年長者であるkは、撮影機材を背負った私よりもさらに重い荷物を持っていた。それなのに歩いても物音一つせず、よく見れば、汗ひとつかいていない。彼を見ていると、自分がとことん場違いなところにきてしまったのではないかという気がしてくるのだ。

 その夜は、サイチョウが実を食べに来るという木のそばでキャンプをして過ごした。持ち込んだ食料や友人が捕まえてきたカエルを食べた。焚き火の向こうでは、Kが両手両足を器用に使って、木と蔓で自分のための簡易ベッドを作ろうとしていた。照らされるKをぼんやり見て、ふと違和感を覚えた。足が大きすぎるのだ。Kの身長は私とほとんど変わらない170センチ程度。ところが足は28センチはあろうかというサイズ、そして長さよりも幅の広さが際立っている。足でものがつかめそうだ。友人は笑って教えてくれた。
「靴をはかないからだよ」
 たしかにその日も、歩き始めたときには履いていた靴をいつの間にか脱いでいたし、そもそも異常に幅広な足型には合う靴もないのだろう。皮の厚さは触らなくてもわかるし、ヒルに吸われて血まみれなのに、一向に気にする様子もない。Kの足は、すでにそれ自体が靴と化しているのだ。私が履いている分厚く重いトレッキングシューズを、Kはどう見ているのだろう。

 翌朝は早くから、サイチョウが実を食べに来るというイチジクの木の下で、Kと二人でじっとサイチョウがやってくるのを静かに待った。ほかの二人にはキャンプの番と、魚釣りを任せた。ところが、近くで羽ばたく音は聞こえるのに、サイチョウは一向に姿を見せない。きっとどこかで私たちの存在に気づいたのだろう。やがて羽音さえも消えてしまった。結局、その日サイチョウは2度しか姿を見せなかった。そのうちの一度は、やはりぼくの軽率な動き(といってもほんのわずかなのだが)で、ないものになってしまった。
 それから2日間、日中のほとんどの時間を待つだけで過ごした。Kは、突然どこからか細い木を切り出してきて、あっという間に簡易的な観察用ベンチをこしらえてくれたり、野生のマンゴーや、お腹にいいという苦い実を採ってきて、食べさせてくれた。どこにいるのか私にはまったくわからない小さな鳥の姿を見せようと、必死に教えようともしてくれた。
 一緒にいて思ったことがある。森でぼんやりしているとき、キャンプで焚き火をしているとき、Kのたたずまいは家の中で寛いでいるように穏やかだった。ほかの友人二人もリラックスしているが、やはり違う。それに比べて私には「森にいる」という緊張感や「念願かなっての撮影行」という興奮がずっと漂っていたように思う。動物たちが寄って来ようはずがない。
 サイチョウを待っているとき、ふとKにこんな質問をしてみた。「森と、(今住んでいる)ロングハウス(ボルネオ先住民特有の長屋形式の集合住宅)とどっちが好きか?」プナン語と簡単なマレー語しか話せないKだが、私のつたないマレー語はなんとか通じたようだった。答える彼の言葉の多くはわからなかったが、いくつかの言葉は拾うことが出来た。なかでもはっきりとわかったのは「サヤ タウ スムア シニ…」という一連の言葉だった。「ここのことは何でも知っている」という意味だ。後に知ったことだが、Kは自分の年齢も、誕生日も知らない。でも、森のことならなんでも知っていると静かに言い切ったのだ。


 元来、森の中からほとんど出ないプナン族は、意外にも日差しに弱い。屈強な体を持つ男たちでさえ、日に晒される農耕は苦手だという。今のように定住を強いられ、畑作を押しつけらる活はどんな気持ちがするのだろうか。私たちにとっては北極や砂漠で狩猟採集をしろといわれるのと一緒かもしれない。「森暮らしをやめて働き、現金収入を得れば、好きなものが買える」という、政府の誘い文句は彼らにどれほど響いているのだろうか?私たちにとっては「都会暮らしをやめて、森の恵だけで暮らせば健康になれるよ」といわれているようなものだ。どれだけの人が、森で暮らすだろうか?そもそも、従来のように森での生活を続ける限り、お金は必ずしも必要ではないし、彼らは満たされている。満たされていないとすれば、お金がないからではなく、恵をもたらす森が減少しているからだ。
 プナン族は80年代、大規模な森林伐採に対して、道路封鎖というかたちで抗議をし、その様子が環境保護団体などを通じて報じられ、世界中から多くの注目を集めた。しかしながら現状は今もひどくなる一方だという。森林伐採によって暮らしの場を奪われ、暮らし方を変えざるを得なかったプナン人が抱える違和感が、ほんの少しわかった気がした。
 3泊の撮影行は、結局満足のいく写真は撮影できずに終わった。帰り道、ぼくは慣れないキャンプでへとへとだったが、Kは「これから狩に行く」と吹き矢を持ってさっさとどこかへ消えていった。友人と私は、泥の上に残る幅広の足跡をたどって、ゆっくりと森を後にした。


                      Dari Kuching 第11号(2007.9.1)より



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© 2011 Yohei Kambayashi