Essay  ボルネオ日和

5  ウツボカズラの男

 サラワク州クチンでの生活が始まって1年半になる。(※2007年当時) 
 「休日は何してるの?」
 「外国暮らし飽きない?」
 時おり日本人にかけられるそんな言葉に、これまで何度か戸惑いを感じてきた。純粋な興味から聞いているのではなく、「何が楽しくてこんなところに、気の毒に」という気持ちが言外に滲んでいるからだ。

 人が生まれた国を出て生活を始めるのには、大抵それ相応の動機があるものだ。旅先で生涯忘れがたい経験をした、地元の人と恋に落ちたなど「きっかけ」が先にたつ場合もあれば、日本では得がたい経験をしたいというような「目的」が先行する場合もある。どんな動機にせよ、外国で住むことを自分で決めた人は、ある種の「覚悟」とともに海を渡るものだ。休日をどう過ごすかや、飽きる飽きないといったことは、あまり重要な問題ではない。 
 しかしながら、覚悟など必要としないほとんどの旅行者や駐在者にとっては、好んでこの町にいるということ自体が不思議でならないのだろう。

 先日、友人の紹介で、クチンのバーで一人の男と出会うことになった。きっと、観光客のぶしつけな質問を幾度も心の中で噛み潰しながら、少しずつ自分の道を切り開いて来たであろう男だ。

 男の名はチェン・リー。食虫植物「ウツボカズラ」に魅せられて、10年以上も前にはるばるカリフォルニアからやってきたアメリカ人の自然写真家兼ネイチャーガイドだ。
 ウツボカズラは、消化液がたまったつぼのような器官を持ち、そのつぼへと滑り落ちてしまった虫を養分にするという、不思議な生き方をする植物である。東南アジアがその分布の中心だ。
 彼はそんなウツボカズラに魅せられて、サラワクにやってきたのだ。サラワクだけで30種類もの大小様々なウツボカズラが自生しているのだ。彼にとっては天国のようなところには違いない。
 しかし、彼はもともとは写真家でもガイドでもなかった。植物の細胞培養を手がける歴とした技術者である。サラワクに来た当初は、ウツボカズラをはじめとする熱帯の園芸植物の培養を主な仕事にしていたが、いつしか帰国の道を断ち、その好奇心と行動力によって、独学で、写真とガイドを両立するフィールドのスペシャリストになった。
 彼のことは、何冊かの著作を通して一方的に知っていたし、その膨大な知識と写真の質を自分のものと比べては、私はいつもため息をついていた。そして、いつしか大きな目標とみなすようになっていた。
       sBF090410.jpg                    sBF010314.jpg                sBD0803235834.jpg

 私は約束の時間より15分ほど早くバーに着き、彼を待った。節約していたこともあって、クチンに来て以来食事は屋台ばかりで、小粋なバーなどには一度も来たことがなかった。目標とみなす人物と会うという若干の緊張もあって落ち着かなかった。
 5分ほど遅れて、ジーパンにTシャツ姿で彼はやって来た。意外に小柄だったが、筋肉質な体つきは、フィールドでの豊富な経験とタフさを物語っていた。 中国人とアメリカ人のハーフというその顔立ちは「ウツボカズラ好き」からイメージしていた顔立ちよりずっとハンサムだった。 
 
 簡単な自己紹介を済ませ、自分も写真家を志していること、ガイドとして働いていること、ずっと会って話したいと思っていたことを告げた。最初はお互いにぎこちない感じだったが、次第に打ち解け、会ったばかりの私にもじつに気さくに色々なことを教えてくれた。 ガイドの仕事と写真の仕事を両立させる苦労、一枚の写真を撮影するのに3日以上待つこともあるということ、動物が逃げないというインドネシアの夢のような場所、そして僕がどうやってもまねできないと思っていたライティングの秘密やアメリカの両親のことまであっけらかんと教えてくれた。そして私がお土産代わりに持っていった自作の写真ハガキも、一枚一枚丁寧に見て、アドバイスをくれた。ボルネオ島といっても自然をきちんと学んできた人はそれほど多くないし、写真のことがわかる人も少ない。レベルは違えど、同じような興味を持って、同じような生き方をしている彼との話はすべてが興味深かった。
 彼と出会った酒場には、多くの彼の友人がいた。地元の人々にすかっり溶け込んで話す姿は、彼がサラワクで過ごしてきた長い月日を物語っていた。しかし、私がもっとも印象的だったのは、言葉にこそならないものの、会話の端々に感じた彼のある種の覚悟だった。 それは一枚の傑作を撮るという覚悟であり、サラワクという外国で生きていくという覚悟であり、なにより、自分の人生は自分で決めるという覚悟だった。「ウツボカズラ狂いのアメリカ人」という世間の見方は、きっと、いい思いばかりではなかったはずだ。揺るがない覚悟があったからこそ、きいている私がめげてしまうほどの苦労話を、決して悲壮的な感じではなく、楽しげに語ることができるのだ。
 アジアの遠く離れた地で、独力で写真家として地位を確立した彼の存在は、いつか熱帯の自然を相手に写真を本職にしたいと目論む私には、とても輝いて見えた。

「Yohei, be patient.(洋平、我慢なんだよ)」                          

 撮影についての会話中に何度か出てきた言葉だ。彼の揺るがない覚悟は、彼しか撮影に成功していないという数々の貴重な写真となって、すでに成果を残し始めている。他人の小さな言動にさえ戸惑いを感じしまう私の「覚悟」の未熟さをまざまざと見せつけられているようだった。

彼はもうすぐ撮影に3週間ほど出かけるといった。なんでも、新種のウツボカズラの調査に同行するという。1週間は調査をし、あとの2週間は自分の撮影のために使うという。「山の上でずっとキャンプなんだ」と、過酷な行程をじつに楽しそうに語る彼の顔が印象的だった。

sBD1205069894.jpg

                      Dari Kuching 第13号(2008.5.1)より



ESSAY TOP

TOP PAGE

© 2011 Yohei Kambayashi